院長ご挨拶
初めまして「良 接骨院」院長の石井 良典(いしい よしのり)です。
幼少期
私は姉と二人兄弟の長男として育ちました。
両親が私を健康的に育ててくれて、時には厳しく時には優しくしつけをし育ててくれました。
五体満足に生んでくれた両親には感謝しております。
幼い頃はとにかくおとなしい性格で、お店に家族で行ったら両親におんぶや抱っこをずっとしてもらっていました。
小学生~高校生
小学校時代は小学3年生の時に地元の少年サッカー団に入団。ポジションはDFやGKでした。中学校時代もサッカー部に入部し、日々部活動に明け暮れていました。 サッカーを本格的にやり始めたのは中学校の時です。当時の監督はものすごく怖い方でした。けど良いプレーや個々の長所を生かすプレーをしたらすごく褒めてくれました。そして自分らの代では4回の大会中3回準優勝しました。
部活も終わり高校受験。昔から那賀高校に行けたらいいなと思っていました。当時よく岩出方面に行き来していて母親からも「いい学校だよ」と聞いており、姉も就学していたのも影響ありました。県内トップ5に入る進学高の那賀高校への道は甘くなく、秋の時点で担任の先生からも志望校は難しいと言われました。そこから本腰を入れ塾に毎日行き週7はもちろん平日は6時間、土日は10時間は勉強しました。必死に勉強した結果合格!!合格した瞬間本当に嬉しく達成感と幸福感に包まれました。この時諦めずに努力したら目標に到達できるのだなとしみじみと感じました。ちなみに家から学校まで自転車で往復2時間かかってました。遠かった。
高校時代は父親の勧めでラグビー部に入部しました。ポジションはフルバック。
入学してすぐラグビー部に入部しました。練習は予想以上にきつく毎日倒れそうになりました。1年生の秋大会で腕を骨折してしまいました。
親、特に母親には本当に心配をかけました。
復帰後に半面コートのミニゲームをした際自分の中で転機が起きました。
それまでタックルに行くことがものすごく恐怖心があり、体であたらずに手だけでいっていました。逃げ腰のタックルが骨折への引き金でした。
ケガをしチーム練習を見学していた時タックルの上手な先輩を観察してみました。それを見ていざ実戦!なんと面白いようにタックルがきれいに決まりました。その瞬間ラグビーが怖いスポーツから楽しいスポーツに、逃げ腰から体当たりの姿勢へと変わりました。以後レベルアップした私は和歌山県代表にも選ばれ仲間たちと汗を流しファイトしました。
私がこの仕事を目指そうと思ったキッカケは学生時代によくお世話になっていた接骨院の先生でした。体に不具合が生じたらすぐ先生の所に行き治してもらいました。
小学校から高校まで様々ななケガを繰り返し捻挫、肉離れそして極めつけは骨折でした。度重なるケガをしてきましたが治してもらい、今でも後遺症なく元気に生活できています。治療を受けているときに「いい仕事だな」と感じこの道に進む決心をしました。
専門学校~アルバイト時代
高校卒業後は自分の夢、目標である柔道整復師になるため国際東洋医療学院に入学しました。学校が昼までだったので、昼からは家の近くの整骨院で働きました。
そこではスキルからコミュニケーションまで一つ一つ丁寧に教えてもらい治療家としての礎を築いて頂いた場所でした。本当に感謝の気持ちでいっぱいです。
国家試験も無事合格。現在は治療だけでなく人としても成長させて頂いている西馬鍼灸接骨院で日々勉強しております。
今までに出会ってきた方々は私にとって大変価値があり人生の財産です。これからも患者様をはじめ様々な出会いに感謝し皆様に笑って、喜んでもらえるよう精進してまいります。